2021年1月22日

2021年1月18日

2021年1月17日

社長の生い立ちページを作成しました。

大分市で佐藤家の2番目の子で長男として誕生しました。

1980年3月10日(そう!さとうの日です)

img20210115_06403009.jpg

父が工務店をしておりいつも仕事をみていました。
あまりはっきりとは覚えていないのですが
小学校低学年くらいまでは、

「将来は僕も大工になる」

と言っていたようです。
(先日、同窓会で小学校のときの担任の先生に教えてもらいました)

幼い頃の私も、今とあまりかわらず
どちらかというとおとなしいタイプ。

小学校3年生からサッカーを始めて
中学校のときに部活は辞めてしまいましたが、
今でも社会人チームで毎週サッカーをしています。
社会人.jpg

ただ、グラウンドを走り回ったり
持久走は嫌いじゃないんですが
スポーツ、となるとあまり得意な子供ではなかったようです。

どちらかというと勉強のほうが向いていました。
自分ではまじめに勉強していたと思っていましたが
同級生から言わせると
「なんでそんなに勉強してないのにそんな点数とれるん」と。
ちょっとした自慢です。笑

この頃には大工さんになる
という夢は言わなくなっており

「今は生活のすべてに電気が通ってる、今後もなくてはならないもの」

と考え、
高校は大分工業高等専門学校の電気科へ入学。

20歳で卒業するころには漠然と

「東京に行ってみたい」という気持ちが。

急に関東へいくのは怖かったので(大分県民あるあるですか?)

広島大学の工学部へ進学。
ここでは設計やプラグラミングを学びました。
生き物サークルに入りキャンプなどもしましたが
山奥の大学だったのでやることがなく基本は飲みサークル。
かなりここでお酒は鍛えられました(;´д`)。
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その後は大阪大学の大学院へ進学しましたが
毎日授業、研究の日々。
このときが一番つらかった。
今でも「留年するかもしれない」という怖い夢をみます。笑

無事卒業をし、関東の会社へ就職が内定。
大手の半導体メーカーでエンジニアとして働きました。
自分の書いたプログラムが動くか動かないか
はっきりと結果がでるので
わかりやすく、やりがいがある仕事でした。
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就職をして4年目、

将来的には生まれ育った
地元の大分で働き貢献したいと考え始めます。

そんなときに地元大分での友人の結婚式で出会ったのが今の妻です。
(やっぱり縁とタイミングってあるんですね。)

Uターンを決意し大分で転職。

IMG_7368.JPG
翌年には結婚、入籍、長女が誕生。
順風満帆でしたが
まさかの大分で転職した会社が大分支店撤退。

養っていかないといけない妻と可愛い娘がいるのに
仕事がない。

見かねた父が
「今だけの間、仕事を手伝ってみたら」
と言ってくれ、30歳のとき初めて大工の仕事に。

小学校以来、
大工になることは全く考えていませんでしたが
ここで転機が訪れました。

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父は大工をすることについて何も言いませんでしたが
母曰く、一緒に仕事をする日は父の機嫌がよかったようです。

父の仕事を手伝うようになって
新築戸建てをゼロから完成まで携わったときに
今までで初めての達成感が。
今でも初めて自分が建てた家のことは忘れません。

自分の手で創るという大きな達成感を初めて感じました。
もともと体を動かすのは好きだったことと
理系で勉強は得意だったので設計や建築の勉強も楽しく、
気づけば5年、10年と経ち2019年父から会社を継ぐこととなりました。

社名を建築屋さとうへ変更し、
施設やリフォーム案件がメインだったやり方を変え、
大分市でこれから人生を歩む若い家族を応援したい。
そんな家族と一緒に過ごす家を創りたいと想い
2020年には新築戸建て用の商品をつくりました。

IMG_0664.jpg

私にとってお客様と一緒に建てた家は自分の子供のような存在。
たくさん愛情をかけて創っています。
新商品の内容や価格が決まり、商品名をつけるとなったとき
「Sons(息子)」と「Daughters(娘)」にしようとしたくらい。
←これは反対されてしまいましたが。。

私の人生はすごく大きなことがあったわけではなく
このエピソード!っていう泣ける話もありません。
大きくいい話を言おうとも思っていません。
平凡だけど、家族や子供は3人に恵まれ
いろいろあってやっぱり大分に帰ってきて父の会社を継ぎ
一緒に働く仲間がいて
だからこそ感じることもたくさんあります。

家族と楽しく幸せに過ごしたい。
子供がのびのび育つ家にしたい。
帰りたいと思う家、
そして子供に残してあげれる家を建てたい。

そんな夢を一緒に家づくりで叶えたい。

私が子供のように想っている家を、
お客様の家族に迎え入れて大切にしてほしい。

私たちが提供する価値は

「家づくりを通して家族の笑顔と幸せをつくる」

ということです。

先日、10歳の長女が学校の発表で

「将来の夢は建築士」

と言っていたようなんです。
子供は3人女の子なので跡取りは諦めていましたが
すごく嬉しい瞬間でした。

父が自分に引き継いでくれたように
大分市で信頼のできる工務店だねと言われるように
いつか子供たちにこの想いを継ぐ日が来るまで。

日々学び、新しい技術や知識を積み重ね
より良いものを提供できるように努力、挑戦しつづける会社であります!!
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2021年1月16日

社長の生い立ち

大分市で佐藤家の2番目の子で長男として誕生しました。

1980年3月10日(そう!さとうの日です)

img20210115_06403009.jpg

父が工務店をしておりいつも仕事をみていました。
あまりはっきりとは覚えていないのですが
小学校低学年くらいまでは、

「将来は僕も大工になる」

と言っていたようです。
(先日、同窓会で小学校のときの担任の先生に教えてもらいました)

幼い頃の私も、今とあまりかわらず
どちらかというとおとなしいタイプ。

小学校3年生からサッカーを始めて
中学校のときに部活は辞めてしまいましたが、
今でも社会人チームで毎週サッカーをしています。
スクリーンショット 2020-12-25 17.54.53.png

ただ、グラウンドを走り回ったり
持久走は嫌いじゃないんですが
スポーツ、となるとあまり得意な子供ではなかったようです。

どちらかというと勉強のほうが向いていました。
自分ではまじめに勉強していたと思っていましたが
同級生から言わせると
「なんでそんなに勉強してないのにそんな点数とれるん」と。
ちょっとした自慢です。笑

この頃には大工さんになる
という夢は言わなくなっており

「今は生活のすべてに電気が通ってる、今後もなくてはならないもの」

と考え、
高校は大分工業高等専門学校の電気科へ入学。

20歳で卒業するころには漠然と

「東京に行ってみたい」という気持ちが。

急に関東へいくのは怖かったので(大分県民あるあるですか?)

広島大学の工学部へ進学。
ここでは設計やプラグラミングを学びました。
生き物サークルに入りキャンプなどもしましたが
山奥の大学だったのでやることがなく基本は飲みサークル。
かなりここでお酒は鍛えられました(;´д`)。
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その後は大阪大学の大学院へ進学しましたが
毎日授業、研究の日々。
このときが一番つらかった。
今でも「留年するかもしれない」という怖い夢をみます。笑

無事卒業をし、関東の会社へ就職が内定。
大手の半導体メーカーでエンジニアとして働きました。
自分の書いたプログラムが動くか動かないか
はっきりと結果がでるので
わかりやすく、やりがいがある仕事でした。
29565A82-A3D4-414C-A1FE-0E2E7F733396.PNG

就職をして4年目、

将来的には生まれ育った
地元の大分で働き貢献したいと考え始めます。

そんなときに地元大分での友人の結婚式で出会ったのが今の妻です。
(やっぱり縁とタイミングってあるんですね。)

Uターンを決意し大分で転職。

IMG_7368.JPG
翌年には結婚、入籍、長女が誕生。
順風満帆でしたが
まさかの大分で転職した会社が大分支店撤退。

養っていかないといけない妻と可愛い娘がいるのに
仕事がない。

見かねた父が
「今だけの間、仕事を手伝ってみたら」
と言ってくれ、30歳のとき初めて大工の仕事に。

小学校以来、
大工になることは全く考えていませんでしたが
ここで転機が訪れました。

F4BEEA6BB7C3.jpg
父は大工をすることについて何も言いませんでしたが
母曰く、一緒に仕事をする日は父の機嫌がよかったようです。

父の仕事を手伝うようになって
新築戸建てをゼロから完成まで携わったときに
今までで初めての達成感が。
今でも初めて自分が建てた家のことは忘れません。

自分の手で創るという大きな達成感を初めて感じました。
もともと体を動かすのは好きだったことと
理系で勉強は得意だったので設計や建築の勉強も楽しく、
気づけば5年、10年と経ち2019年父から会社を継ぐこととなりました。

社名を建築屋さとうへ変更し、
施設やリフォーム案件がメインだったやり方を変え、
大分市でこれから人生を歩む若い家族を応援したい。
そんな家族と一緒に過ごす家を創りたいと想い
2020年には新築戸建て用の商品をつくりました。

IMG_0664.jpg

私にとってお客様と一緒に建てた家は自分の子供のような存在。
たくさん愛情をかけて創っています。
新商品の内容や価格が決まり、商品名をつけるとなったとき
「Sons(息子)」と「Daughters(娘)」にしようとしたくらい。
←これは反対されてしまいましたが。。

私の人生はすごく大きなことがあったわけではなく
このエピソード!っていう泣ける話もありません。
大きくいい話を言おうとも思っていません。
平凡だけど、家族や子供は3人に恵まれ
いろいろあってやっぱり大分に帰ってきて父の会社を継ぎ
一緒に働く仲間がいて
だからこそ感じることもたくさんあります。

家族と楽しく幸せに過ごしたい。
子供がのびのび育つ家にしたい。
帰りたいと思う家、
そして子供に残してあげれる家を建てたい。

そんな夢を一緒に家づくりで叶えたい。

私が子供のように想っている家を、
お客様の家族に迎え入れて大切にしてほしい。

私たちが提供する価値は

「家づくりを通して家族の笑顔と幸せをつくる」

ということです。

先日、10歳の長女が学校の発表で

「将来の夢は建築士」

と言っていたようなんです。
子供は3人女の子なので跡取りは諦めていましたが
すごく嬉しい瞬間でした。

父が自分に引き継いでくれたように
大分市で信頼のできる工務店だねと言われるように
いつか子供たちにこの想いを継ぐ日が来るまで。

日々学び、新しい技術や知識を積み重ね
より良いものを提供できるように努力、挑戦しつづける会社であります!!
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2021年1月12日

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